國光 茂左衛門 孟雅
略歴
BIOGRAPHY茂左衛門孟雅は、初代喜兵衛の子として生まれ、先代の藩への多大な勤行から、二人扶持、五石のお利徳雇として士分に取り立てられたのち、国光家の分家となる。利晴とともに、災害時の村民救済、土木開作事業支援、塩田事業、寺社の維持信仰など地域貢献に努め、一族の繁栄を支えた。記録によると天明文化年間は大庄屋を務めていた。
史料・刻銘
HISTORICAL RECORD
「奉寄進
國光完儀 國光孟雅
明和三丙戌二月」
「獻燈
國光利晴 國光孟雅
天明四甲辰仲夏吉日」
「獻燈
國光利晴 國光孟雅
天明四甲辰八月吉日」
「國光利晴 國光孟雅
天明三年 卯初春日」
「獻燈
國光利晴 國光孟雅
天明四甲辰」
「獻燈
國光利晴 國光孟雅
寛政十一年 己未仲夏」
「國光茂左衛門藤原末葉孟雅
文化八年辛未」
活動年表
ACTIVITY TIMELINE生年不明
1720年ごろではないか
二人扶持、5石のお利徳雇として士分に取り立てられ、国光家の分家となる
前年に兄、利晴が大庄屋を継いでいることから、先代がこの頃、相続に向けて動いたと推測される。
普請方となり領内各地の開作事業に務める
開作馳走米差し出しにより、高8石に加増「山口県地方史研究(26)」
大日坊 石燈籠寄進
父、完儀とともに寄進、大日堂境内現存
無給通士(松原改)「閥閲録」
鶴浜開作の馳走米により18石を加増「山口県地方史研究(26)」
川口番所役、米紙請払方、開作方、口銭方に任命される「光市史」
小郡開作馳走米により30石余を加増「山口県地方史研究(26)」
中岩田荒神社鳥居奉納
兄、利晴とともに建立、現存。
岩戸八幡宮石燈籠・中岩田荒神社石燈籠寄進
兄、利晴とともに寄進、現存。
身柄一代遠近役、検使役となる「山口県地方史研究(26)」
雨桑観音燈籠寄進
兄、利晴とともに寄進、現存(令和8年現在、雨桑観音建屋は取り壊されている)
病気退役
史料には享保2年と記載されていたが、年代が前後するため享和が正しいと考えられる。
塩田開作
大野毛利伊賀守の傍示物切開作地12町のうち、4町の開作について、同伊賀守は財政上開作が困難であったため、これを茂左衛門に依頼し、彼は、これを完成させその見返りに曽根田名浜2町を分与されている。
百済部浜を知行地として石盛される。
毛利十一代史記録
大庄屋熊毛宰判國光茂左衛門、山口吉富藤兵衛、小郡上田五郎衛門、舟木雑賀權六、前大津山本市右衛門、萩へ召喚蔵元に於いて当職毛利蔵主より内用の趣演達料理を賜ひ羽織下附蓋し当用銀のことなるへし
狛犬奉納
狛犬奉納、岩戸八幡宮現存
毛利十一代史記録
一昨年の上納銀について萩城へ呼び出され、料理が振る舞われ、賞金1貫文授けられる。さらに藩財政困窮のため郡の無尽役を申しつかる。
没年不明
記録からすると享年80歳前後ではないか